とある理科の先生。
その先生(M先生)は大学で物理学を専攻してドクターまで出ている。
ドクターの資格を持っているから、大学の教授だってできるのだが
小学生を相手に理科を教えているのである。
先生の授業は決して“答え”を言わない。
問いを投げかけて生徒にひたすら考えさせる。
何度か授業を見学させて頂いたが、大人の自分が見ていても面白い。
そして更に面白いのは、M先生は高校時代には音大を薦められたほど
歌が上手い。
そんな先生と話をした。
M先生によれば、有名な数学者や物理学者になればなるほど、音楽に傾倒しているという。
今回はそのことについて記事にしてみたい。
~数学と音楽~
音楽は数学や物理学といった理系の科目と密接に関わっている。
そもそも“音”自体が周波数という数字で表されるし、
音階も和音も周波数の規則的な配置によってできている。
リズムも分数や比の形で表すことができる。
ギリシア時代、音楽は数学・幾何学・天文学と並んで主要な学問であった。
世の中の摂理を理解するために音楽は必要不可欠だと認識されていたのである。
この時代、有名なのはやはりピタゴラスだろう。
『ピタゴラスの定理(三平方の定理)』でお馴染みの彼だが、音楽の世界でも有名で、
今に残る音階のひとつ、ピタゴラス音律を作った人物である。
それにまつわる伝説的な話が残っている。
――ある時、ピタゴラスは町を歩いていた。
すると鍛冶屋から聞こえる金槌の音が、様々に共鳴していることに気がついた。
そして、きれいに共鳴する金槌の比を調べていくと
金槌の重量比が単純な整数比になっていることがわかった――
この話、実際には金槌の重さと共鳴の比は関係しないのだが、
こんな伝説が生まれるくらい彼の頭の中は常に数字で満たされていて、
それが音楽の分野にも生かされたことは紛れもない事実である。
彼はどこへ行くのにもヴァイオリンを持ち歩いていて、
「物理学者にならなければ音楽家になっていただろう」という言葉を残しているほどの音楽好きである。
また、数学からは少し離れるが、
前回の“【映画】『風に立つライオン』はなぜ素晴らしいのか”の記事で出てきた医師シュヴァイツァーも
J.S.バッハについての研究書籍を残すほど、音楽に深く傾倒していた。
関連のある人物を挙げていけばまだまだいるのだろうが、
ここからは、
なぜ彼らが数学・物理学と同等に音楽を愛したのか
ということについて考察してみたい。
M先生は、
数学者や物理学者は、常に、様々な事象についての完成系(答え)をイメージしている人種だ
とおっしゃていた。
自分は理系の分野が得意ではないのだが、学生時代に数学の問題を解いていて、
ぐにゃぐにゃぐにゃ…パッと解けると気持ちいい。
そんな感覚に近いものがあるだろうか。
音楽も、
紆余曲折を経て最終的に最も安心する和音(主和音)にたどり着くという点ではこれに似ているし、
素晴らしい音楽はその過程構成が非常に美しい。
このことを踏まえて自分が考えたのは、
人間は『美』に対して、強く憧れている生き物であり、
ある事象について、あるべき真理を求める姿勢が強くなればなるほど、
美しいもの(=真理)への憧れが強くなっていく。
ということである。
そして、上に出てきたような人物は皆、人一倍真理に対する憧れが強く、
数学や音楽という分野の垣根を越えて、美しいものを追い求めていたのだろう。