最近のこどもたちは本当に忙しい。
学歴社会に身をおいて、その中で勝ち上がっていかなければならないから
かなり小さいころから競争が始まっている。
その一方で、純粋に勉強で競争をするには、
いささか誘惑や情報も多すぎる。
何か知りたいことがあれば、何でもインターネットで知ることのできるこのご時勢。
子供たちは知らず知らずのうちに、「知った気」 になっている。
もちろん知識としては身についているのかもしれないが、
それは自分の経験に基づかない分、空虚な知識のままである。
これと同じことが、学校教育の音楽においても言える。
おそらく、
「人間にとって音楽は必要?」
と、大人に聞けば、大半の人が
「必要」「どちらかといえば必要」
と答えるのではないだろうか。
同じ質問を、学校の教員に投げかけても
「不要だ」
という人は少ない。 ただ、「なぜ必要なのか?」という答えは見えずに
漠然と「なんとなく必要」と感じている教員も中にはいる。
音楽自体が抽象的な分野なので、
その「なんとなく」も答えとしては決して間違ってはいないのだが、
学校という教育機関である以上
ある程度の理由付け(もしくは経験に基づいた裏づけ)も必要なのである。
でないと、経験に基づかない知識をもつ子ども同様、模範解答として「必要」と言っているに過ぎない。
もちろん、それを伝えるのが音楽専科の仕事である。
ただ、音楽の先生が孤軍奮闘したところで、限界があることは目に見えており、
最終的には、いかに学校全体で音楽(情操教育)に目を向けるかということが大切になる。
そして、先生の「なんとなく」というのは、いつのまにかこどもにも伝わっているものなのである。
→学校教育における音楽 Part2へ続く。