短調の音楽こそ人を感動させる〜人生の辛い時にこそ人の真価が問われる〜

人は短調の音楽にこそ感動する。

これは大学時代お世話になった先生がおっしゃっていたこと。

そう言われると確かにそうだなと思う。
もちろん長調の音楽をハッピーな時に聴くと高揚感を高めることができ
人をより一層幸せにしてくれる。

その一方で、短調の音楽には
辛いことや苦しいことがあった時にそっと寄り添ってくれる力がある。

辛いことや苦しいことを経験しない人はいないから
短調に感動する感覚は全ての人に共通する。

今日、個人的に辛いことがあった。

このブログはあくまで備忘録なので自分への戒めとして書き残すが
端的に言うと

自分が思っていたことが相手に伝わっていなかった。伝わり方にズレが生じた。

ということだろうと思う。

自分としてはどんなに相手を思って働きかけていたとしても

それが相手に伝わっていなかった場合
もしくは相手が望む形とズレた場合に

自分の振る舞いはエゴになる。

ここで大切なことは

いかにして伝えるか

だ。

自分の中にメッセージがある場合それを相手に伝えるためにはいくつかの過程を経なければならない。

それをいとも簡単にできてしまう人もいるが
基本的にはそれなりの時間と労力を要する。

今回、自分にはその力が足りていなかった。

少し焦りもあったのかもしれない。
焦りは人を盲目にさせる。

目指すべきところが間違っていたとは思わないが、
そこに至る過程の部分が誤っていたのだろうと感じる。

これは自分にとって非常に為になる教訓である。

人は歳を重ねるごとに価値観が確立されてひとつの“正解”のようなものができるが
それと同時にどうしてもそこに至るまでの過程をおざなりにしがちになる。

しかし、こと教育分野においてはその過程こそが一番大切で
正解に対してのアプローチが最も重要となる。

そしてその過程やアプローチが人それぞれで場合によって異なることが教育の難しさでもあり面白さでもある。

くり返しになるが今回の一件では、自分はその部分を見誤っていた。

26歳になってすぐに
こんな挫折を味わうことになるとは正直なところ思っていなかったが、
今回このタイミングで挫折を経験できたことを前向きに捉えて
次に生かしていきたいと思う。

非常に悔しく歯がゆい思いはあるが
この気持ちを忘れないためにブログに書き残す。

転んでもただでは起きない。反骨精神。

短調の音楽こそが人の心を動かすように
人生もマイナスの瞬間にこそその人の真価が試されている。

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