ブログに書いた文章を後になって読み返してみると「もっとこう書いたほうが良いよな」と思うことが結構な頻度であります。
そのことからもわかるように、ブログに書く文章は良い意味で「適当」で、その適当さがブログの魅力の一つだと感じます。
僕もブログを書くときの方法はまちまちで携帯のメモ帳に書いたり、直接パソコンで打ったりして書くのですが、何れにせよ紙に書くのとは大きく違う点があります。
それが
推敲(手直し)が簡単にできる
ということ。当たり前といえば当たり前ですが、これはやっぱりブログを書く上での大きな利点です。
例えばA→B→Cの順番で書いていた文章をB→C→Aの順番に並びかえるのも簡単ですし、
推敲(手直し)が簡単にできる
ということ。
例えばA→B→Cという順番で書いていた文章をB→C→Aという順番に並びかえるのも簡単ですし、
という文書を見て、「という」が多すぎるなあ。と
推敲(手直し)が簡単にできる
ということ。
例えばA→B→C“の”順番で書いていた文章をB→C→A“の”順番に並びかえるのも簡単ですし、
と手直しするのもブログだとあっという間にできてしまいます。
もしこれが原稿用紙に書いた文章の場合、書き直すか、下書きをしてから書くかということになってどうしても手間が増えます。
仕事柄、助成金の申請理由書だとか、何かのレポートだといった比較的硬めの文章も書く機会も多いのですが、そういう時はやっぱり下書きするし推敲するしでそれなりに時間をかけます。
(もちろんその分文章としての質は自然と高くなりやすいです。)
そして「推敲(手直し)が簡単にできる」結果としてブログは
程よく適当に書く
こともできるようになります。
直す手間が少ない分、ブログでは思ったことを思ったまんま書き連ねていくことができます。
このブログ『音のある毎日』の記事の中にも、読み手にとって価値のある内容にしようと思った結果半日以上かけて書いたような記事もあれぱ、気楽に自分の考えを書いているだけの記事もあります。
そして、程よく適当に書いた記事は程よく適当に読まれて、それなりに労力をかけて書いた記事はそれなりに深い欲求を持った人に読まれているんだと思います。
こう考えるとブログの記事の価値は
記事の価値=書き手がかけた労力=読み手の欲求の深さ×読み手の数
という式で表すことができるかもしれません。
そして、書き手の労力と読み手の欲求のバランス×読み手の数が自然と釣り合っていくのがブログ(記事)の面白いところなんじゃないかと思います。
その時のその人にとっての「心境」や、社会的な「情勢」、そしてブログの「内容」に応じて、自然と発信側と受信側のバランスが取れたところで、みんなの役に立っている
というのが僕が感じるブログの良いところであり面白いところです。
まとめると、
簡単に手直しができるブログは、
それなりに気楽に書くことができる。
書く側が程々の労力で書いた文章は読む側も程々の気持ちで読むことができるし、
書く側が労力を書けた記事は読む側の深い欲求を満たしてくれる。
ということになります。
この記事も少しでも誰かにとって価値のある記事になっていれば良いのですが…