僕は文章を書くのが好きです。
もちろん、好きなだけで上手いか下手かは別問題なんですが、こうしてブログを書いていてそれが全然会ったこともない人にも読んでもらえているというのは結構嬉しいです。
いつも読んでくださる皆様、ありがとうございます。
というわけで、今日はそもそもなぜぼくが文章を書くのが好きなのかということについての話してみようと思います。
小学生の頃。家には本がたくさんありました。
決して広くない借家の一軒家でしたが、本だけはやたら多くて廊下や寝室に両親の本が結構な量ありました。
といってもそのほとんどが両親が若い頃に買った本なので小さい僕には興味がないものばかりでしたが、その中にもたまーに面白い本(星新一さんとか)があってぼんやり開いていた記憶があります。
そうやって文字に対する免疫がついたことは間違い無いので、その点は本当に両親に感謝です。
環境って大切。
そんな僕も小学生になりました。
相変わらず本を読むのは好きで、そこに加えて変なところで完璧主義な性格もあり、図書室にあった『ファーブル昆虫記』や『伝記シリーズ(リンカーンとかキュリー夫人とか)』を片っ端から読んでいました。
今思えばちょっと変な子ですが、当時は妙な使命感みたいなものを感じていて、
全部読まなきゃいけない!
みたいな気持ちだった気がします。
ちなみにこの時、最終的に夏目漱石を読もう。となるのですが、『吾輩は猫である』のとっつきやすい名前と中身の意味不明さとのギャップにやられて諦めたのをよく覚えています。
そして、たしか4年生くらいだったと思うのですが「日記」を書く宿題が出るようになりました。
その頃の記憶は割によく残っていて、当時は左半分に時間割、右半分に日記を書くタイプの日記帳を使っていました。
そして、そこでも完璧主義が発動して
この日記の欄は全部埋めなきゃいけない!
みたいな妙な使命感が出てしまい、時には中身のない内容の日記もあったと思うのですが、とにかく毎日その欄を埋めることを目標にして日記を書いていました。
今思えばその経験は、僕が文章を書くことを好きにさせてくれた大きなきっかけだった気がします。
大人になってからも、何か分からないことや自分にとって大きな出来事があった時はノートを引っ張り出してきて文字を書きます。
書くことで自分を整理できたり、その結果として新しい自分が見えたりするので、そんな書いている時間も含め、文章を書くことが好きなんだと思います。
便利な世の中になって手軽にいろいろな人の「文章」を読んだり、自分の「文章」を発信できる時代になりました。
いろいろな人のブログを読んでいると
「この人の文章スタイリッシュでかっこいい」
とか
「柔らかくて人当たりの良い文章を書く人だな」
みたいな素敵な文章に出会うことがあります。
そして、毎日たくさんの文章に感化されたり救われたりしながら生きていて、気づけば会ったこともないその人の人間味が文章の向こう側にぼんやりと透けてきて、いつの間にかその人を好きになっている自分がいます。
そう考えると、僕も文章を書くことを通して「自分もそんな風に誰かの役に立ちたい」という思いがあるのかもしれません。
仕事が立て込んでいて忙しい時は、なかなか文章を書く時間を取れませんが、自分にとって大切な作業の一環としてこの先も長いこと文章を書き続けていけたら、と思います。