私が音楽を志した理由
音楽を仕事にする人、音楽家を目指す人の理由はそれぞれだと思います。
きっと小さい頃や学生の頃に音楽の魅力にはまり音楽の世界で生きるようになる。
私の場合は「答えのない世界に魅力を感じた」のが音楽の世界を目指したきっかけでした。
学校の勉強にはどの教科にも「100点」が存在していて目指すものがはっきりとしています。
小中と割と勉強が得意だったこともあり、高校は県内の進学校に進みました。
そこでも勉強は人並みに頑張っていたのですが、なんとなくその「100点がある世界」に疲れてしまったのかもしれません。
その一方で、小学校4年生からはじめた音楽(私の場合はユーフォニアムでした)もずっと続けていて、中学校高校ともに吹奏楽部に入りました。
この音楽の世界には勉強と違って、「明確な答え」がありませんでした。
楽器の“技術”ももちろんそうだし、“表現”として見るとなおさら。
「こうすれば正解」
がない世界が楽しくなっていて、気づいたら音楽大学を目指すことを決めていました。
私の場合だと音楽を続けている理由は、
「100点がない世界に憧れた」
からです。
「お金を稼ぐ」という壁
大学卒業後、演奏や指導活動と並行しながらアルバイトをするよりは自分の経験値になるだろうと、学校の非常勤講師をはじめました。
もともと教えることが嫌いではないこともあり、学校では何だかんだでいい経験をたくさんさせてもらいました。
音楽を仕事にしていると「レッスン」は避けて通れないと思いますが、
人よりも圧倒的に教える量が多いという経験は、結果自分が「レッスン」をする上でも大きな強みになっています。
僕の場合は非常勤講師という選択肢を選びましたが、大学卒業後の一番の大きな壁はやはり
「お金を稼がなければならない」
ことです。
日本は(特にクラシック)音楽を仕事とする人にとって経済的に恵まれているとは言いづらい国です。
音楽は続けたい、でもお金を稼がないといけない。
音大を卒業した人の多くが一度は頭をかすめた悩みだと思います。
『手段』が『目的』になってしまう
私自身も30歳が目前になり、改めて周りを見てみると「自分がなぜ音楽をしているのか」。
を忘れてしまっている音楽家が意外と少なくないように感じます。
これは音大を卒業し、フリーとして活動しはじめたばかりの若手からすでにプロオーケストラなどで奏者として席を獲得しているベテランまで、
最初は絶対にあったはずの「音楽をしている理由」がぼやけてしまっているのです。
音楽をしたかったはずが生きていくために仕方なく音楽をしている
いつの間にか、『手段』が『目的』になってしまっているのです。
例えば、
「音楽の魅力を伝えたい」という『目的』を持って音楽家になった人がいたとします。
その人にとっては「ピアノを演奏する」のは『手段』です。
しかし、そこに「お金を稼がなければならない」という状況が加わってしまったことで、
「ピアノを演奏する」こと自体が『目的』になってしまうのです。
生きていくためには「ピアノを演奏するしかない」となり…
気づくと自分が「なんのためにピアノを弾いていたか」、本来の『目的』を忘れてしまっているのです。
音楽業界の課題
まとめると、
- 小さい頃に音楽の魅力に心奪われて音楽家を目指す。
- 音楽大学に入学し大学でも4年間一生懸命に練習し、音楽のスキルをつけた。
- 大学卒業すると「お金を稼がなければならない」という壁にぶち当たる
- 自分が本来「なぜ音楽をしていたのか」。『目的』がわからなくなってしまい音楽がただのお金を稼ぐ『手段』になってしまう。
こうして見ると、音楽家や音楽を仕事にする人にとって一番の壁は間違いなく
「お金を稼がなければならない」
ということです。
きっとみんな持っていたはずの素晴らしい『目的』が、お金という壁によって知らない間に『手段』化させられてしまっている。
音楽業界に限られた話ではないかもしれませんが、これはとても悔しいことだと感じます。
先日、『題名のない音楽会』にウィーン・リング・アンサンブルが出演していました。
ウィーン・フィルの首席ヴァイオリン奏者だったライナー・キュッヒル率いるこの団体のメンバーは全員が本当に楽しそうに音楽をしているのが伝わってきます。
それを見ながら
「あー、音楽をはじめた頃はきっとみんなこうだったはずだよなあ」
とふと感じました。
音楽を好きでいた人が音楽を好きなまま音楽を続けられる
そんな世の中になって欲しいと思います。