高校生3年生のクラスを授業していた頃の話です。
そのクラスは保育系の進路を持つ子が音楽を学ぶために設けられていたのですが、実際には進路に関係ないけど他に取る科目がないので…という理由で取っている生徒もいる少し難しいクラスでした。
そして、その年のクラスは、女子が6人に男子が1人。
そのたった一人の男子生徒との思い出です。
Mくんは、運動部に所属していて体格も良い生徒でした。ただ、勉強はそんなに得意ではなかったようで、よく先生にも注意されているようなそんな思春期の高校生らしい生徒でした。
音楽に関しても、決して音楽の能力が高いわけではないけど、力強くまっすぐな良い歌声を持っていました。
そんなMくんのおかげもあり、その年の音楽の授業は、何回か「合唱」する機会をつくることができました。
女子生徒はもともと保育系の進路を持っていることもあり、割と音楽的にできる子が多く、合唱などの音取りも自分たちでソプラノとアルトを取ることができました。
なので、自分はそのMくんと音取りをしていくのですが、不器用ながらも一生懸命頑張る彼はとても素敵な生徒で、間違えても笑いを交えながら楽しく歌っていました。
そして、卒業前最後の授業で音楽選択の7人で「小さな音楽会」をすることに。
曲目は、
・校歌
・春に/木下牧子
・旅立ちの時/久石譲
の3曲。高校生になるとなかなか卒業のタイミングで歌うこともなく、彼女たちにとっても最後の合唱となりました。
今までお世話になった先生方に声をかけて音楽室で開いた「小さな音楽会」。
たった一人の男性パートをMくんは不器用ながら一生懸命に歌い切りました。
その声には彼の良いところ、
真面目なところ、素直なところ、一生懸命なところ、不器用なところ…
そんな全部がつまっていて、途中何回か間違えそうになりながらも一人で最後まで歌いきったその姿には胸を打つものがありました。
聴きに来てくださっていた先生方からも「Mくんがとても頑張っていて驚いた」というような声をいただいて、Mくんの歌は人の心に響いていたと思います。
そして、その「小さな音楽会」が終わってみんなが教室から帰っていったあと、Mくんがのそのと自分のところへやってきて言ってくれました。
「先生、1年間ありがとう。先生と授業できて本当に良かった。」
と。
その時、Mくんは泣いていました。
突然の涙に、自分ももらい泣きしそうにながら、
「なんで泣いてるんだよ。こっちこそありがとう。楽しかった。」
と返すのがやっとでした。
彼がなんで泣いていたのか、そのほんとうのところは今もわかりません。
でも、きっと受験(Mくんは彼の元々の偏差値からは考えられないような高い志望校を目指して頑張っていました)や、毎日のいろんなストレスを感じて毎日毎日頑張っていたのだと思います。
大きな身体に、優しい心を持った思春期の敏感な彼にとって、きっと辛いことも多かったのだと思います。
そんなMくんにとって、週にたった一回の音楽の授業が、もしかすると数少ない「息抜き」になっていたのかもしれません。
自分にとっても、音楽を通してMくんと関わることのできた時間は楽しくかけがえのない時間でした。
なので、彼にとって少しでも「音楽」やその時の「自分」が役に立てていたのだとすれば、それはとても幸せなことだと思います。
その授業を最後に彼とは会うこともなく、自分も学校が変わってしまい、今Mくんがどこで何をしているかもわかりません。
それでも「Mくん」という一人の生徒の存在は、間違いなく自分にとって忘れられない生徒であり続けると思います。
教師という仕事にかかわっていると、どうしても「みんなにとって、良い先生でありたい」と思ってしまうことがあります。
しかし、人間やっぱり十人十色。
相性のいい人間もいれば、そうでない人間もいます。
もちろん、大人である先生の側から「相性が悪い」と思うのはどうかと思いますが、生徒から見ればウマの合わない先生がいるのは自然なことだと思います。
Mくんと出会うまで、自分もやはり心のどこかで「みんなにとって、良い先生でありたい」と思っていました。
それが、「Mくん」との関わりを通して、「全ての生徒に好かれる先生」でなくとも、「一人の生徒の支えになれる先生」であれば良いのかなと思うようになりました。
Mくんとの出会いは、自分の“教師観”を180度大きく変えてくれました。そんなMくんとの出会いには、心から感謝しています。
そして、いつかまた成長したMくんと、その時の話をしながら一緒にお酒でも飲めたら良いなと思います。
仕事柄、学校の先生とよく接する機会があります。 一つの学校にいるとなかなか気づきづらいと思いますが、たくさんの先生方との関わりの中で感じた「良い先生の条件って何だろう?」ということについて書いてみたいと思います。 これから新しく先生になられ[…]