悲しみを埋めるもの~シェイクスピアの『オセロ』を読んで~

昨晩のこと、

『赤毛のアン』を読み終わり寝る前に読む本がなくなったため、
以前、古本屋で購入したシェイクスピアの『オセロ』を読み始めました。

オセロー (新潮文庫)
 

『オセロ』は、言わずと知れたシェイクスピアの四大悲劇のうちのひとつですが、
私は『マクベス』『ハムレット』はすでに読んだことがありました。

それで今回何となく気になって『オセロ』を読み始めてみたのですが、 

とうとう最後までノンストップで読んでしまいました。

次の日朝から仕事だったのに…笑

そして、他の作品を読んだ時とは比べ物にならないほどの“衝撃”を受けました。

―ひとつの悪が次第に周りに伝播していき、気づくと取り返しのつかないことになっている。―

という構図で、人間の脆さをまざまざと描き、
そしてそれが、まるで劇を見ているかのような立体感を以って訴えかけてくる。

読み終わった後に「すごい、すごすぎる」と思わずにはいられませんでした。

もちろん読む側は、“悲劇”と知って読んでいるので、
読み進めれば進めていくほど、悲しい結末に向かっていくことは分かっているのに、
それでも、読み進めてしまうというのは、読みながらもとてもはがゆい思いでした。

以前、お世話になっていたクラリネットの先生が、
「人が本当に感動するのは(長調ではなく)短調の曲だ。」
とおっしゃったことがあります。

音楽は心を満たすためのものだけれど、明るい曲ではなく暗い曲で人の心は本当に感動する。 

それには自分も共感できる部分が多かったのですが、
なぜそうなのかということについてはあまり深く考えたことがありませんでした。

でも、今回シェイクスピアの悲劇を読んでみて、

短調の音楽は、
人間の負の部分、たとえば

負の感情だったり
弱さや脆さだったり、

にストレートに迫ってくることが、ひとつの理由なのではないかと思いました。
音楽や文学は、そこに対して何のためらいも遠慮もなしに、“直接”訴えかけてきます。

そして、その機会というのは、成長した人間になればなるほど増えるのだと思います。
子供には、やはり短調の曲はそこもまで響かないような気がします。

もちろんシェイクスピアの悲劇も。

生まれてしばらくは、 人の心は満たされることでどんどん成長していきます。
それが、あるところを境に100パーセント満足した状態から何かを失った状態
(=悲しみ・苦しみ・辛さ他)を経験するようになります。

そして、その喪失を埋めることは、実質的には不可能だと思います。

ただ、その部分に“直接”訴えかけて、
人の心を揺さぶったり、場合によっては埋めてくれるのが、

文学や音楽なのだと思います。

いつか、シェイクスピアの原文に挑戦してみたいと思います。 

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