2018年の1月からJASRAC(日本音楽著作権協会)が音楽教室での
楽曲の使用についても著作権(演奏権)料を徴収するということで問題になっている。
つい先日パーマ大佐の『森のくまさん』替え歌事件でもその対応が気になった
JASRAC今回の問題について、少し書き留めておきたいと思う。
まず、今回の事件で
音楽教室での楽曲に著作権料がかかる
→その著作権料分だけ音楽教室の月謝が高くなる
→音楽教室に通うことが困難になる
と、子どもたちにとっての貴重な音楽を学ぶ場を奪うということは
非常に残念なことである。
知り合いの音楽教室関係者が言っていたが、
この時代、子どもも減り、習い事も塾などの勉強系が優先され、
音楽教室に通う子どもたちはただでさえその数を減らしているそうだ。
そこにきて、今回の著作権料徴収は音楽業界の未来に関して
『百害あって一利なし』 であることは明白だろう。
そして、もし実際に徴収が行われるようになると危惧したい問題がもうひとつある。
それは、
『子どもたちが良い曲、好きな曲と出会う機会が減る』
ということである。
非常勤講師をしているとわかるが、子どものうちに音楽に興味を持つそのきっかけの多くは
「この曲を弾いてみたい」
という憧れである。
その憧れをきっかけにピアノを習い始める子どもも多いだろう。
それが、今回の著作権料徴収によって難しくなる。
そして、音楽教室の値段を上げないために音楽教室は
オリジナル教材などを使うなど、
ポピュラーな曲を使わないということを選択し始めるかもしれない。
言うまでもないことだが、 ポピュラーな曲には
ポピュラーになっただけの理由がある。
それが必ずしも“音楽的な価値”とは限らないがそれでも、
多くの人に認められたという点では価値がある。
そういった良い曲に出会う機会もやっぱり減ってしまうだろう。
これもやはり音楽を始めたいと思う子どもにとって良いことではない。
著作権を一元的に管理して、官僚の天下りなど問題も絶えないJASRACだが、
著作権の本来の意義を考えてほしい。
今回の一件が本来その権利を有する「作曲者」の意向(多数派意見)であるなら
誰も文句は言えない。
しかし、歌手の宇多田ヒカルさんが公言したように、
子どもたちが自分の楽曲を音楽教室で使うことからも著作権料を徴収して欲しい
と思っている作曲者は少ないのではないだろうか。
作曲者本人の意思とは思えない決定を下し、
JASRACが独り歩きをしてその権利料を徴収する。
今回の事件には違和感を感じざるを得ない。