昨年度お世話になった職場の皆さんとの飲み会だった。
改めて感じたことは、
自分は素晴らしい人に恵まれたということ。
教育の現場という、ややもすれば安定を求めてしまいがちな組織において、
何歳になっても常に向上心を持ちつづけている人というのは、本当に素晴らしいと思う。
そして、飲み会でも話しにあがったのは、
公立学校の先生(この場合音楽専科)についてである。
自分自身、今まで多くの公立学校の先生方と関わる機会があったが、
その中には正直言って
「この人大丈夫か?」
と思う先生もいる。
この記事では今自分が思う、理想の教師像について書き留めておきたい。
そんな先生も、教員採用試験という一つの門を突破して教員になられたのだから、
それまでの努力や熱意、志というものを皆さんもっておられる(おられた)のだとは思う。
だが、半ば安定を約束されている公務員という職業に起因しているのか、
こちらから見ていて、全く向上心を感じない先生もいるのである。 そして、そういう先生に限って
・威張っている
・言葉遣いが汚い
・理不尽なことで怒る
・生徒のせいにする
というような人格的にも不安が残る人が多い。
なぜこういう人間が生まれるのか?
それには①教師という職業に由来する部分と、②公務員という組織に由来する部分
という二つの原因があると考えている。
①教師という職業について
人に何かを教える時というのは、ついつい上から下へという構造を利用してしまいたくなるものだ。
もちろんそういう側面も必要にはなるのだが、
それだけだと子供たちも本当の“学び”はできないのではないかと感じている。
大学の講義で教えることと伝えることの違いについて考えたことがあるが、
その時に思ったのは、『教師』という職業は、
教えるのではなく、伝える職業だということだ。
言い換えれば、「生徒と一緒にある内容について共有すること」が教師の目標なのである。
そのためには、
・教師がその内容について熟知していること
・その教師と何かを共有したいと思ってもらえる人間性をもっていること
が必然的に大切になってくる。
子供と大人だろうが一対一の人間である以上、そこを蔑ろにしてはいけない。
そこを見失っている教師は、教師という職業以前に、大人として最悪である。
②公務員という組織について
そしてもし、そんな教師が公務員という職業に守られながら、
平気で子供の前に立っているという現状があるのだとしたら、 それは絶対に間違っている。
公務員(=安定)であることに“甘え”を見出してしまうと、人間はどんどん堕落していく。
今の自分はまだまだ人間としては半人前にも満たない1/4人前だが、
この先、何歳になっても人間的な向上心を持ち続けていたいと思う。
最後に、私の好きな作家である夏目漱石の名作『こころ』より抜粋してこの記事を終わりにしたい。
「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」 〜夏目漱石
高校生3年生のクラスを授業していた頃の話です。 そのクラスは保育系の進路を持つ子が音楽を学ぶために設けられていたのですが、実際には進路に関係ないけど他に取る科目がないので…という理由で取っている生徒もいる少し難しいクラスでし[…]